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実はいまだにツールドフランスの時差ボケが治らなくて
本当に苦しんでいます……
夜、特定の時間になると、眠たくならない……
朝起きられないよう

あと
頭の中でレベッカのダンバース夫人の曲が
ぐるぐる回り回ってメランコリックです
いやなんつーか……
この曲メランコリックというより
妄想を歌いあげる歌なんですけど
貴族の主人が、若い新しい奥さんをもらう←本当はこの新しい奥さんが主人公なのかも
けれども、主人の亡くなった奥さんであるレベッカを
崇拝していた使用人のダンバース夫人が
その亡くなった奥さんの素晴らしさを歌う歌らしいのですね
あまりにもグルグル回ると
寝たいんだってば!
と思います……どうにかならないか、これ……

昨日書いた話補足

ちょっと誤解を受ける表現だったなーと思い補足
書くのが早くなるって
決して打ち込みが早くなるとかそういう話ではありません

私は打つのが早いとかそういうことはないのですが
それでも、仕事の関係で
「打ち込みが早いですね」と言われたことがあるので
一般の人ってむしろどれだけ遅いんだ!
と思わないでもないのですが

小説でも漫画でも、おそらく絵でもそうだと思うんですけど
言ってしまえば
『こういうふうに書きたい』と頭で思ったことが
試行錯誤なしに『作品(文章)にできるようになる』事が
早くなるということだと思います

言い換えれば、迷ってる時間が少なくなるということ。
人の話を聞いていていつも思うのは
書くの遅い人って
多分、小説だったら打ち込みが遅いとか
漫画や絵だったらだったら、イラストを書くのが遅いとか
そういう話じゃないんですよね

言ってしまえば、表現に対して迷ってる時間が長いのです

逆に書くのが早い人というのは
こういうふうに書きたいと思ったことに対して、
素早く、演出とか文章表現の選択ができる
自分がやろうと思ったことに対して、
自分の頭の中の引き出しをあやまたずに
選ぶ――その速度が速いということだと思います

で、まぁそこはこう……ひとつの訓練の話なのですが
それはひとつの、定型的なパターンを作る
ということなので、場合によっては、
引き出しの開け方を変えた方が作品がよくなる
こともあると思うのですが

まぁ私程度しか書いたことがない人間は
そんなことよりも
きちんと定型的なパターンを確立する方が
圧倒的に有益なんだと思います

こういうのって、たくさん書くことによって
パターンを確立しやすくなるんだと思いますが

えーっとアニメ監督の細田守監督かな?
何かで、美術大学にいっているときに
ものすごく絵を沢山書かされて
それは、自分がこういうものを書こうというときに
構図とか表現とかの引き出しをたくさん作るされるために
書かされたんだと思いますみたいな←超意訳です

話をされていたことがあって
多分小説も、たくさん書かれている方は
自然とそういう訓練をされているわけですね

ある程度、数を書いていても、そーゆー風にならない人は
言ってしまえば、迷う時間を少なくしようとか、
そういった意識が足らないという話なのだと思います

たとえば小説で言うなら
大雑把には二つの技術でできているものだと思いますが
それは

レトリック→テキストの文章技術表現
物語→ストーリーやプロット等の物語の技術

の二つだと思います
で、これは概ね、どちらかが得意な傾向に偏るものだと思います
だから比重としては
自分の得意な表現の方に寄りかかりながら
得意じゃない方を一定水準に引き上げる
というのが無難だと思う

たとえば物語の方を一定水準に引き上げるための
手法のひとつが、プロットやメモを作るということですかね
この場合のプロットは、
編集部に出すためのプレゼンテーションとしてのプロットではなく
粗筋であったり、構成であったりする方のプロットです
これもレトリックと同じように、ある程度
定型の技術があるわけです

で、これ多分レトリックが得意なタイプの人は
どちらかというと、文章の連なりで小説を書く傾向にあって
構成を作るのが苦手な傾向にあるかな

これはなんというか
何に小説の魔法を見るか……みたいな話でもあるような気がするのですが
レトリックを技術として分解してみるのはともかく
お話の面白さを、技術として分解してしまうことに対する
忌避感とか
そういうのも手伝っているような気がするのですが……

ひとつのとても面白い小説があったとして
それは、その作家さんの個性であったり
きらめきや閃きであったりするのとは別に
大部分が、おそらく技術的に説明ができるわけです。

それを判別してしまうと
ある意味では、その小説を普通に楽しめないかもしれません。
それが、一種の忌避感だと思います

もちろん技術的に分解できるかどうかは
もうレベルにもよりますし
また、分解できても自分に取り入れられるかは別問題なわけで
取り入れられるかどうかは、
自分の作風や個性との相性もありますね

まぁそれはどのように訓練できるか
は、自分なりの手法を見つけるということなのですけど
ある程度は、スポーツの訓練による体得みたいなところがあるような気がします
言い換えれば、必ずしも楽しい作業ではない。ということです。
過去の自分の作品からプロットを作るとか
他の人の作品からプロットを作るとか
あるいはHOWTO本に書かれている通りに
プロットを作成して小説を書くとか
誰かのプロットを元に小説を書くとか
やり慣れない人からしたら、多分楽しくないんでしょう
で、やらないからそのまま。
野球で言うなら、守備の反復練習しないから
いつまでたっても守備は下手。なのに。
「どうして俺は守備下手なんだろう」って
嘆いているようなものなんだと思う

特に、レトリックの連なりによって書くタイプの人は
自分にとっての心地よいレトリックの連なりを追求する傾向にあるように思うので
プロットを最初に作って、それに従って書く
ということが、レトリックの美しい連なりの追求を妨げるのかなーと
思うのですけど

言ってしまえば、このタイプの人は
物語を技術的に分解することが苦手なタイプなのだと思います
物語に夢を見ちゃうタイプの人

これ、小説を書き始めて、最初からプロットを書いてから
小説を書くようにするという人は、私はものすごく少ないんじゃないかと思うのですけど
どうなんでしょうか

でも、プロットを書いてから書くという癖をつけられるかどうかっていうのは
ある程度、早くに切り替えられた人の方が
一度スタイルが固まってから、プロットを書く癖をつけるより
はるかに、手法が定着しやすいように思います。

それと私、小説でも漫画でもなんでも
ある程度かけるようになった人にこそ
初心者の書き方の本とか勧めてみるんですけど
書けるようになった人って、あまり、HOWTO本とか
読まない傾向にあると思うのですが
そのわりに、同じところに足踏みする人がすごく多いと思うんですよね
なんでなのかなぁ……

偉そうに書いてみたけど
別に自分が、これ全部実践できているという話ではありませんので
あしからず。
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